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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)7726号 判決 1994年10月17日

原告

信田賢治

信田浦子

右両名訴訟代理人弁護士

吉沢寛

木村裕

被告

学校法人日本大学

右代表者理事

瀨在良男

右訴訟代理人弁護士

平沼高明

堀井敬一

西内岳

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告信田賢治に対し六二〇〇万円、同信田浦子に対し五五〇万円及び右各金員に対する昭和五九年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告信田賢治(以下「原告賢治」という。)が被告の開設する日本大学医学部付属板橋病院において脊髄動静脈奇形摘出術を受けた後、原告賢治に障害が残ったことについて、被告に対して、原告賢治が診療契約上の債務不履行又は不法行為を、原告信田浦子(以下「原告浦子」という。)が不法行為をそれぞれ原因として次の損害及びこれに対する手術の行われた日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。

1  原告賢治の損害 合計六二〇〇万円

ア 逸失利益 二二〇〇万円

イ 付添費 一五〇〇万円

ウ 慰藉料 二〇〇〇万円

エ 弁護士費用 五〇〇万円

2  原告浦子の損害 合計五五〇万円

ア 慰藉料 五〇〇万円

イ 弁護士費用 五〇万円

二  争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実

次の事実は当事者間に争いのない事実か、又は証拠上容易に認められる事実(この場合には採用証拠を< >内に掲げた。)である。

1  原告賢治は、大正一二年一月一八日生まれの男性であり、原告浦子はその妻である<原告賢治本人>。

2  被告は、日本大学医学部付属板橋病院(以下「被告病院」という。)等を開設する学校法人である。

3  原告賢治は、昭和五八年二月ころから足の痺れ・排尿困難・便秘を感じるようになったため、同年一一月一九日「両下肢しびれ感」を主訴として被告病院整形外科を受診し、同日、被告との間で診療契約を締結した。原告賢治は、同日から昭和六〇年二月一九日被告病院神経内科を退院するまで被告病院で診療を受けた。

4  昭和五八年一二月一日、被告病院神経内科を受診し、脊髄炎と診断された。昭和五九年一月一九日、被告病院でミエログラフィー(脊髄腔造影)を受け、その結果は「所見なし」であったが、右ミエログラフィーの施行後、強度の頭痛が生じた。

5  同年四月一八日被告病院神経内科に入院し、同月二三日ミエログラフィーが施行され、その結果、脊髄動静脈奇形(AVM)の疑いがもたれた。脊髄動静脈奇形とは、流入動脈・ナイダス(動静脈接合部の異常血管網)・流出静脈からなる血管奇形である。

6  同年五月一四日、脊髄血管造影が施行されたが、脊髄動静脈奇形を描出することはできなかった。

7  同年六月五日、原告賢治は、被告病院脳外科病棟に移され、原告浦子は、同月一〇日、原告賢治に対する脊髄動脈奇形摘出術についての手術承諾書に署名をした。

8  同月一一日、被告病院脳神経外科部長坪川孝志(以下「坪川医師」という。)の執刀により、脊髄動脈奇形摘出術(以下「本件手術」という。)が施行された。坪川医師を初めとする被告病院の医師及び看護婦が原告賢治に対する診療及び本件手術に当たった。水谷智彦(以下「水谷医師」という。)、亀井聡(以下「亀井医師」という。)及び神津仁(以下「神津医師」という。)は、本件手術当時被告病院神経内科に勤務する医師であった<証人水谷、同亀井、同神津>。

9  本件手術後、原告賢治は、同月二〇日から被告病院リハビリテーション科でリハビリ治療を受け、昭和六〇年二月一九日被告病院を退院した。その後も、原告賢治は、本件手術後に生じた歩行不能・両下肢麻痺・直腸膀胱障害の症状があり、原告浦子は、原告賢治と同居し、原告賢治の療養看護に当たっている<原告賢治本人>。

三  争点

原告らは、本件手術に関し、被告には次のとおり債務不履行もしくは不法行為の過失があり、これによって、原告賢治の歩行不能・両下肢麻痺・直腸膀胱障害が生じたと主張する。

1  本件手術の必要性の不存在

被告は、原告賢治に対し、そもそも本件手術をする必要はなかったものである。本件手術前の原告賢治の症状は、原病の増悪によるものではなく、被告病院で昭和五九年一月一九日に施行されたミエログラフィー及び同年五月一四日に施行された脊髄血管造影の失敗が原因として生じたものであるから、脊髄動静脈奇形についての手術療法は不必要であったということになる。

2  本件手術前の検査の誤り

本件手術の必要性があったとしても、脊髄動静脈奇形の本態はナイダスであるから、被告には、脊髄動静脈奇形摘出術を行うについて、術前に脊髄血管造影を行い、脊髄動静脈奇形の流入動脈の数と位置、ナイダスの局在及び流出静脈の広がりを正確に把握すべき義務があった。被告病院で行われた術前検査は、昭和五九年一月一九日と同年四月二三日のミエログラフィー及び同年五月一四日の脊髄血管造影であるところ、同年一月一九日のミエログラフィーと右脊髄血管造影は失敗し、流入動脈を描出することはできなかった。本件手術前に被告病院の医師らにとって得られていた所見は、同年四月二三日のミエログラフィーによるもので、その内容は、原告賢治に上向性で第一〇胸椎から上部胸椎の間に脊髄動静脈奇形の流出静脈があるという程度のものであった。坪川医師は、脊髄動静脈奇形の流入動脈の数と位置、ナイダスの局在及び流出静脈の広がりを正確に把握していなかったのに、右義務に反して本件手術を行った。

3  本件手術の選択の誤り

原告賢治に関し外科的療法が必要であったとしても、本件手術当時の医学的知見によれば、脊髄動静脈奇形の治療法としては塞栓術が確立され、塞栓術は治療の安全性の点から第一選択として行われるべきであるとされていたのであるから、被告は、原告賢治に対し再度選択的血管造影を行い、脊髄動静脈奇形の位置を把握したうえ塞栓術を行う義務があった。しかし、被告病院の医師らは、診療の当初から塞栓術を考慮もせずに、坪川医師は本件手術を執刀した。

4  説明義務違反

被告には、原告賢治に対し本件手術の内容及びそれに伴う危険性につき具体的に説明する義務があった。しかるに、被告病院の医師らは、手術の内容を全く説明せず、本件手術をすれば八〇パーセント治り、手術には危険性はないとの説明をしただけであり、本件手術の内容及びそれに伴う危険性について具体的に説明することを怠った。

四  争点に対する被告の主張

1  本件手術の必要性について

原告賢治の原病は脊髄動静脈奇形であり、原告賢治は昭和五七年八月以降慢性的進行性経過をたどっていたから、原告賢治が外科的治療の適応であったことは明らかである。本件手術前の原告賢治の症状は、脊髄動静脈奇形の病状の新たな進行により生じたものであって、本件手術の必要性はあった。

2  本件手術前の検査について

原告賢治に対する昭和五九年五月一四日の脊髄血管造影によって、流入動脈がない、あるいは非常に細い脊髄動静脈奇形であることについて、坪川医師は判断できたのであり、再度脊髄血管造影を行うことによって、原告賢治に脊髄の虚血を引き起こし、さらに症状を悪化させる危険を考慮して、坪川医師は本件手術を施行したのである。坪川医師の右判断には合理性があって、脊髄動静脈奇形の流入動脈の数と位置、ナイダスの局在、流出血管の広がりを正確に把握しなかったことが義務違反になることはない。

3  本件手術の選択について

原告賢治の脊髄動静脈奇形は、シングルコイルドタイプで髄外ナイダス型のものであるから、脊髄に手術的障害を加えることなく摘出術が容易に行えるのであって、むしろ摘出術がされるべきケースであり、塞栓術の適応ではなかったから、塞栓術を摘出術に優先して行うべき義務はなかった。塞栓術を行うために、再度選択的血管造影を行うことは、原告賢治の症状を悪化させる可能性があり、かえって危険であった。

4  説明義務違反について

被告病院の水谷、神津及び亀井医師は、原告賢治の現症状とその原因、症状の進行可能性、手術に伴う危険性及び手術による改善程度について、原告賢治に対し、本件手術前に具体的な説明をしている。

第三  当裁判所の判断

一  本件手術に関する経緯

本件手術に関する経緯について、争いのない事実と証拠(甲一ないし八、甲九の一ないし四、甲一〇の一、二、甲一一、一二、乙一ないし乙八、検乙一の一、二、証人水谷、同亀井、同坪川、同神津、同高須、原告賢治本人、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨により認められる事実は、次のとおりである。

1  本件手術前の状況

(一) 原告賢治は、大正一二年一月一八日生まれの男性であり、昭和二五年からタクシーの運転手をしており、昭和三八年から個人タクシーの営業をしていた。

昭和五七年八月ころ、原告賢治は両大腿のつっぱり感を感じるようになった。翌昭和五八年二月ころ両足に痺れを感じ、膝から下の感覚がなくなり、便秘と排尿困難も生じたため、一か月間ほど市販の漢方薬を服用していた。その後、昭和五八年三月ころ、都立豊島病院で受診したが、同病院の泌尿器科及び神経内科では右症状の原因は判明しなかった。同年五月ころ、同病院の整形外科でミエログラフィーを行うことを勧められたが、原告賢治は、ミエログラフィーには、造影剤による副作用があるということを以前に聞いたことがあり、また、健康に自信があって脊髄に病気の原因があるとは考えていなかったことから、これを拒否し、その後は針治療を続けていた。針治療を続けていた間も、原告賢治の足は段々弱くなり、タクシー運転手の仕事は同年一〇月いっぱいでやめた。

(二) 同年一一月一九日、原告賢治は「両下肢しびれ感」を主訴として被告病院整形外科で受診した。この時点で下肢の知覚障害及び歩行困難が出現していたが、被告病院整形外科でも原因がわからず、同年一二月一日、被告病院の神経内科を兼科することになった。同日、被告病院神経内科の原田医師は、脊髄炎との診断をし、原告賢治に対し入院するよう伝えた。原告賢治は、入院手続はしたものの、入院することに抵抗があったため、実際には入院しなかった。

(三) 昭和五九年一月一九日、外来でミエログラフィーが施行された。しかし、造影はうまくゆかず、結果は「所見なし」であった。右ミエログラフィーの施行後、頭痛と歩行不能が生じたが、頭痛はまもなく治り、同年二月ころには一人で歩けるようになった。原田医師は入院を進めたが、原告賢治が差額ベット代を負担することを拒んだため、入院の順番待ちとなり、入院が可能になったのは同年四月であった。

(四) 同年四月一八日、原告賢治は被告病院神経内科に入院した。入院当時の症状は、不全体麻痺(右側中程度低下、左側軽度低下)・知覚障害(胸髄一一番以下で全知覚が低下)・膀胱直腸障害(排尿は始め腹部を押さないと出ない、便秘)であった。同月一九日における筋力(0から5までの六段階評価。5が正常値で0は全く動かない状態を意味する。)は、腸腰筋(IP)右2・左4、大腿四頭筋(QF)右5・左5、前脛骨筋(TA)右4・左5、下腿三頭筋(TS)右4・左5であり、かろうじて立てる状態であった。

(五) 同月二三日、神津医師により背臥位のミエログラフィーが施行されたが、レントゲン写真の脊髄の部分に蛇行した血管が描出されていたため、同医師は脊髄動静脈奇形の疑いがあると判断した。同日夜、同医師は、レントゲン写真を原告賢治に示して、脊髄動静脈奇形の疑いがあり、手術の適応となる可能性があることを話した。

同年五月八日における、原告賢治の筋力は、腸腰筋(IP)右3プラス・左4、大腿四頭筋(QF)右5マイナス・左5、前脛骨筋(TA)右4マイナス・左5、下腿三頭筋(TS)右4マイナスないし3プラス・左5マイナスであった。

(六) 同年五月一四日、神津医師、被告病院神経内科の坂巻医師、同脳神経外科の菅原医師によりセルジンガー法(動脈、静脈に外科的操作を加えないで行う経皮的カテーテル血管内挿入法)による選択的血管造影(血管造影法の一つの手技で、大動脈、大静脈内に挿入したカテーテルの先端を大動脈、大静脈の分枝に挿入して造影を実施する方法。目的としない血管との重なりを防ぐことができ、造影剤の血管内での希釈も少なく大動脈造影に比べて診断能が高い。)が施行され、アダムキービッツ動脈を始めとする根動脈及び肋間動脈の造影を試みた。同医師らは、原告賢治の身体の右側からカテーテルを挿入しようとしたが、動脈硬化のためうまくカテーテルを目的の場所に入れることができずこれを断念し、左側からカテーテルを挿入し、左右の根動脈に造影剤を注入したが、脊髄の奇形部分への流入動脈を描出することはできなかった。そこで、同医師らは、右カテーテルを用いて大動脈に造影剤を注入し大動脈造影(大動脈に直接間接に造影剤を注入し、その流れをX線フィルム等の撮影を行って観察する方法)を行った。大動脈造影の最中、原告賢治の足に脊髄の虚血によると思われる震えが生じていた。右造影の結果に基づき、古典的サブトラクション法によって流入動脈を確認しようとしたが、流入動脈を描出することはできなかった。この脊髄血管造影には、造影剤としてコンレイ六〇及びウロクラ七六が用いられた。

右脊髄血管造影後、原告賢治の肢の筋力は高度に低下し、排尿障害も悪化し膀胱カテーテルが入れられた。同月一五日における筋力は、腸腰筋(IP)右3以下・左0ないし1、前脛骨筋(TA)右3以下、下腿三頭筋(TS)右1・左0ないし1マイナスであった。

ところで、脊髄動脈造影に伴う合併症には、刺入部周囲の血管損傷と血腫、カテーテル操作に伴う血栓症、造影剤のアレルギー反応などのほかに、脊髄の虚血に伴う刺激症状と麻痺症状を示す合併症がある。脊髄動脈造影のうち大動脈造影の方法によるものは、同時に多くの根動脈を造影剤で満たし、脊髄を広範囲に虚血状態に陥れるため、合併症の発生率もまれではないが、選択的血管造影によるものは、造影剤注入直後より隣接の根動脈から急速に造影剤の洗い流し作用が働き虚血状態が短時間で消失するため、虚血症状が発生することは大動脈造影の方法による場合に比べ少ないと考えられている<甲一一>

(七) 同年五月一六日、原告賢治は、被告病院の脳外科を兼科することになった。同月二二日には膀胱カテーテルが外され、同月二四日における筋力は、大腿四頭筋(QF)が右3以上・左5マイナス、前脛骨筋(TA)が右4・左3プラス、下腿三頭筋(TS)が右3プラス・左3プラスとなり、同月一四日の血管造影後に高度に低下した筋力及び悪化した排尿障害は回復してきていた。しかし、同月三〇日ころ二日間連続して失禁が見られた。

(八) 同年六月五日、原告賢治は、被告病院脳神経外科に転科し、脳神経外科病棟に移された。同月六日、被告病院神経内科において原告賢治出席のうえ神経内科の医師らによる早朝カンファレンスが開かれ、原告賢治の症例の検討がなされた。神経内科のカンファレンスにおいては、原告賢治に対していかなる処置をするかについての具体的な結論は出されなかった。

2  脊髄動静脈奇形(AVM)について

(一) 正常な脊髄の循環系は、脊髄、脊髄神経根の栄養をつかさどる根動脈に始まり脊髄を上下に縦走する一本の前脊髄動脈と二本の後脊髄動脈との三本の動脈系、これら動脈系から脊髄内に分岐する枝、毛細血管を通り前脊髄静脈、後脊髄静脈、根静脈、内・外椎骨静脈叢に流出する静脈系よりなりたっているところ、以上の動脈から毛細血管を経由して静脈に至る解剖学的構築が破れ、動脈から静脈へ短絡(シャント)ができた場合に動静脈奇形となる。右動静脈接合部の異常血管網をナイダスという。

脊髄動静脈奇形の臨床症状には、根性痛、知覚障害、筋力低下、錐体路症状及び膀胱直腸障害などがあり、適切な治療が行われないと、多くは脊髄横断症状に移行する。くも膜下出血が発症することもある。発症形態は、卒中型、間欠型、進行型に分類される。症状の発現の原因としては、動静脈奇形からの出血、ナイダス等による脊髄の圧迫、血流の短絡により脊髄が虚血に陥ること(スチール現象)及び脊髄有効灌流圧の低下・循環障害などが考えられている<以上につき甲五、七、八>。

(二) 脊髄動静脈奇形は、血管造影像の形態により、シングルコイルドタイプ(単純コイルド型)、グロムスタイプ(血管塊型)及びジュベニイルタイプ(若年型)に分類される。シングルコイルドタイプとは、一、二本の流入動脈から長い不規則に蛇行した脊髄背側にある異常血管が造影されるものであり、グロムスタイプとは、通常、一本の流入動脈が小さな限局性の異常血管叢に入るもので、一部が動脈瘤状に拡張し出血点となるものであり、ジュベニイルタイプは、多数の栄養動脈が、大きな血管奇形に流入するものである。本件手術前の一九八三年(昭和五八年)のオールドフィールドの論文により、シングルコイルドタイプの脊髄動静脈奇形の場合、ナイダスは脊髄の外の脊髄硬膜内に存在することが報告されていた<以上につき甲五、七、弁論の全趣旨>。

(三) 脊髄動静脈奇形の治療法には、塞栓術と摘出術がある。塞栓術は、カテーテルを用いて動静脈奇形の導入動脈の奇形部分に塞栓物を入れ、導入静脈を閉塞することで、ナイダスを通って短絡する血流を絶つことによって、スチール現象を減じ、周囲正常組織への血流を回復させ、正常の静脈灌流を回復し、ナイダス内での血栓形成を期待するものであり、塞栓術を行うについては、術前に選択的血管造影により脊髄動静脈奇形への流入動脈を描出しその位置を確認することが必要であるが、選択的血管造影を繰り返し行っても病巣が描出されない症例も存在する。また、塞栓術施行後も、塞栓がしばしば再開通することがあり、その場合は、塞栓術を追加施行せざるを得ない。摘出術は手術用顕微鏡を用いて手術によりナイダスを除去することによって血流パターンの正常化を期待する方法であるが、これを試みることが脊髄実質に大きな侵襲となる場合は、術後の脊髄の神経症状を悪化させる一因となる<以上につき甲四、五、七、八>。

脊髄動静脈奇形の治療の目的は、進行性の疾患を繰り返すうちに、脊髄の横断状態に陥るのを防止することにあり、ひとたび悪化した神経症状を回復させることは、疾患の性質上困難なことが多いとされる(なお、原告らは、脊髄動静脈奇形の治療の目的は症状の改善をはかることにあると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)<甲四>。

(四) 原告賢治の昭和五九年四月二三日のミエログラフィーによるレントゲン写真には、胸椎の九番から一一番にかけてシングルコイルドタイプの脊髄動静脈奇形の典型的流出静脈が脊髄の背面に造影されているが、髄内腫瘍的な所見である脊髄の限局性の腫脹が造影されていなかった。坪川医師は、前記オールドフィールドの報告を知っており、同年六月五日に原告賢治が被告病院脳神経外科に転科する以前に、右レントゲン写真を見て、原告賢治はシングルコイルドタイプで髄外ナイダス型の脊髄動静脈奇形であり、同年五月一四日の大動脈造影により流入動脈を撮影することができなかったため、シャントの流量の少ないものであると判断した。被告病院において右大動脈造影以後本件手術前にさらに原告賢治に対し選択的血管造影を行い脊髄動静脈奇形の流入動脈の数と位置、ナイダスの局在及び流出静脈の広がりを正確に把握することは、虚血による症状悪化が懸念されていたことから、結局なされなかった。

3  本件手術について

(一) 同年五月末に原告賢治に尿失禁が起きたことについて、坪川医師は、動静脈奇形のある部分は胸椎の一〇番前後であるのに、脊髄症状である尿失禁が出たのは既に仙髄まで虚血が広がっている可能性が高いと判断し、同年六月一一日に脊髄動静脈奇形摘出術を行うことを決定した。原告浦子は、同月一〇日脊髄動脈奇形摘出術に対する手術承諾書に署名をした。

(二) 同月一一日午前九時三二分、原告賢治に対し、坪川医師の執刀により本件手術が開始された。同医師は、まず、背中を正中に少しはずして切開し、背中の筋肉を切って開き、第八胸椎から第一二胸椎の椎弓切除を行い、脊髄の硬膜を開いた。脊髄動静脈奇形の流入動脈は三本あり、第九胸椎左及び第一〇胸椎右から血液が供給されていた。坪川医師は、顕微鏡を用いて、双極電気メスによりナイダス二本及び拡大した静脈の一部を摘出し、流入動脈三本を結紮した。ナイダス摘出後には、脊髄の腫れがひくのが通常であるが、原告賢治の場合腫れがひかなかったため、脊髄の硬膜を閉じる際には代用硬膜を使用し、脊髄を締めつけないようにし、同日午後一時三〇分手術を終了した。

4  本件手術後の状況

(一) 本件手術後、原告賢治の排尿感覚がなくなった。同月一五日における原告賢治の筋力は、前脛骨筋(TA)が右3マイナス・左3マイナス、下腿三頭筋(TS)が右3マイナス・左3マイナスであった。同月二〇日における筋力は、大腿四頭筋(QF)が右4マイナス・左3、前脛骨筋(TA)が右3・左3、下腿三頭筋(TS)が右3プラス・左4マイナスであり、同日抜糸を行い、リハビリ治療を開始した。

(二) その後、原告賢治の筋力は低下し、本件手術前にはなかった足の痙攣が生じるようになった。同年八月一三日における筋力は、前脛骨筋(TA)右1・左1、下腿三頭筋(TS)右1プラス・左1プラスであった。

同年八月以降は、原告賢治の筋力は回復の傾向にあり、被告病院を退院する直前の昭和六〇年二月七日における筋力は、腸腰筋(IP)右1プラス・左2マイナス、大腿四頭筋(QF)右3マイナス・左3マイナス、前脛骨筋(TA)右3マイナス・左1プラス、下腿三頭筋(TS)右3プラス、左3プラスであった。本件手術後に悪化した膀胱直腸障害については改善はみられなかった。知覚障害については、本件手術後に拡大した関節位置覚脱失域の改善は見られなかったが、痛触覚及び振動域の知覚障害については、被告病院に入院した当初からの変化は見られなかった。

(三) 原告賢治は、同年二月一九日被告病院を退院し、その後関東労災病院において二か月間リハビリ治療を行ったが、症状は改善せず、現在まで歩行不能・両下肢麻痺・直腸膀胱障害の症状が継続し、車椅子による日常生活を送っており、新たな病状の進行は生じていない。

二  争点に対する判断

それでは、前項で認定した事実を前提として、以下さらに必要な事実については追加認定して、前記各争点について判断する。

1  争点1(本件手術の必要性)について

証人坪川の証言及び鑑定の結果によれば、原告賢治は、シングルコイルドタイプの脊髄動静脈奇形であること、脊髄動静脈奇形は進行性であり、いったん足の筋力低下や歩行困難が起こると、患者の日常活動は一般に退行を続けること、原告の場合も脊髄動静脈奇形の外科的治療をせず保存的療法のみを行った場合、両下肢麻痺、下半身の知覚障害及び膀胱直腸障害が発生していた可能性が高いことが認められる。

前記認定のとおり、昭和五九年一月一九日のミエログラフィー施行後に、原告賢治には一時的に歩行不能が生じているところ、鑑定の結果中には、ミエログラフィー時の腰椎穿刺後の低髄液圧により一時的に歩行不能が生じた可能性があるという部分があるが、これを裏付けるに足るカルテの記載がないうえ、右鑑定の結果中には、原告賢治が長い間寝たきりになっていたので筋力が低下しうまく歩行ができなくなったと思われるという部分もあり、右鑑定の結果により因果関係を認めることは困難である。のみならず、前記認定したところによれば、原告賢治の右歩行不能の症状はその後同年二月ころには一応の改善を見ているのであるから、右ミエログラフィーの施行がその直後に生じた歩行不能の一因をなしているとしても、その後の原告賢治の脊髄動静脈奇形の進行による症状の悪化を否定することはできないというべきである。

また、前記認定のとおり、同年五月一四日の脊髄血管造影直後に原告賢治の肢の筋力は高度に低下し、排尿障害も悪化しているところ、証人水谷の証言及び鑑定の結果によれば、同年五月一四日の脊髄血管造影直後の筋力低下及び排尿障害の悪化は、右脊髄血管造影により生じたことを認めることができる。

しかし、前記認定のとおり、脊髄動静脈奇形の症状である筋力低下は、昭和五八年七月ころから昭和五九年五月一四日の脊髄血管造影に至るまで、全体として進行しており、脊髄血管造影後の筋力低下及び排尿障害も、同月二二日に導尿カテーテルがはずされるなどいったんは回復傾向にあったものの、再び同年五月三〇日ころ二日間連続して尿失禁するというこれまでにない新たな症状が見られたのであり、証人坪川及び同水谷の証言によれば、右尿失禁は、脊髄血管造影の合併症ではなく、仙髄まで虚血が及ぶという原病の脊髄動脈奇形の新たな進行を示す症状であることが認められる。この点について、原告賢治は、その本人尋問において、右尿失禁は、俗にいうちびった程度で尿が出たことはわかっていたから、脊髄動脈奇形の症状の進行を示すものではない旨供述するが、入院票(乙七)の同年五月三〇日の部分に「失禁したのがわからない」という記述があることに照らすと、右供述は信用することはできない。

以上の事実からすると、原告賢治の脊髄動静脈奇形は、本件手術当時も進行の過程にあったものと認められる。そして、前記認定のとおり、脊髄動静脈奇形の治療法として摘出術が存在しており、その目的は、進行性の疾患を繰り返すうちに脊髄の横断状態に陥るのを防止することにあるのであるから、本件手術が原告賢治の症状に照らして不必要であったとはいえない。したがって、本件手術が不必要であったことを前提とする原告らのこの点についての主張は、採用することができない。

2  争点2(本件手術前の検査)について

前記認定のとおり、坪川医師は、本件手術前に再度の選択的血管造影を行って原告賢治の脊髄動静脈奇形の流入動脈の数と位置、ナイダスの局在及び流出静脈の広がりを正確に把握することをしないまま、本件手術を施行したものであるところ、鑑定の結果中には、原告賢治に摘出術を施す前提として再度の選択的血管造影を行ってナイダスの位置を確かめる必要があったとの見解が示されている。しかしながら、前記認定事実及び鑑定の結果、証人神津及び坪川の各証言によれば、昭和五九年四月二三日施行のミエログラフィーにおいて第一〇胸椎から上部胸椎レベルまでの間に脊髄動静脈奇形の典型的流出静脈(シングルコイルド)が造影されており、原告賢治の症状がシングルコイルドタイプの脊髄動静脈奇形とほぼ断定できたこと、右造影当時の医学的知見にあてはめると、ナイダスの位置は第九胸髄ないし第一一胸髄までの間の脊髄硬膜内に存在することが予測されたこと、原告賢治に対してその後選択的血管造影が施行されたが、脊髄の奇形部分への流入動脈を描出することができなかったこと、その結果、坪川医師らは、流入動脈が非常に細く血液の流量の少ないものと判断し、また、右選択的血管造影に続いて施行した大動脈造影後に原告賢治に生じた虚血による症状の悪化にかんがみ、再度の選択的血管造影の施行は原告賢治に再度虚血による循環悪化を生じさせる危険があると考えて、右選択的血管造影を行わずに、摘出術に踏み切ったこと、以上の事実が認められる。そして、被告の医師らが行った右選択的血管造影の手技自体に不適切な点が存した事実を認めるに足りる証拠はなく、また、選択的血管造影による合併症はまれであるとされているものの、絶対に生じないとまで断言したものは見当たらない(甲一一参照)ことにも照らすと、坪川医師らが再度の選択的血管造影を行ってナイダスの位置を確かめずに摘出術に踏みきったことについて、医師としての注意義務違反があるとはいえない。のみならず、証人坪川の証言によれば、同医師は、本件手術中硬膜を開いた時点で、脊髄の背中を這う形になっている流出静脈をたどって、右ミエログラフィーにより造影された胸椎の九番から一一番にかけてのシングルコイルドタイプの脊髄動静脈奇形の典型的流出静脈像付近に同医師の予測したとおり存在した流入動脈、ナイダス及び拡大した流出静脈が存在していること並びにその数及び位置を確認し、そのうえで、ナイダス及び拡大した静脈の摘出及び流入動脈の結紮を行っている事実が認められるのであり、同医師の右手術に何らかの不適切な点が存したと認めるに足りる証拠はない。そうすると、坪川医師が、本件手術前に原告賢治の脊髄動静脈奇形の流入動脈の数及び位置、ナイダスの局在及び流出静脈の広がりを正確に把握したうえで本件手術を行ったとしても、その後の摘出術の経過自体が異なったものとなったとは考えられず、そうであるとすれば、結局、右手術後に発症した歩行不能・両下肢麻痺・直腸膀胱障害の症状を回避することはできなかったものと認められるから、同医師が流入動脈の数及び位置、ナイダスの局在及び流出静脈の広がりを正確に把握することなく本件手術を行ったことと原告賢治の右症状の発生との間に因果関係を認めることはできない。したがって、原告らのこの点についての主張は採用することはできない。

3  争点3(本件手術の選択)について

前記認定のとおり、脊髄動静脈奇形の治療法には、塞栓術と摘出術があるところ、原告賢治に対する治療法の選択について、鑑定の結果によれば、選択的血管造影により脊髄動静脈奇形が造影された場合には、塞栓術は患者に与える苦痛が摘出術に比べて少ないから、摘出術に優先して塞栓術を行うべきであり、血栓が再開通するなど塞栓術が奏功しない場合又は選択的血管造影により流入動脈の造影ができない場合には摘出術を行うべきだが、原告賢治と同じシングルコイルドタイプの脊髄動静脈奇形について、病変が小さく手術自体も比較的容易なため、米国では再開通により入院期間が長くなり医療費が高くなるのを防ぐため最初から摘出術を行う例もあることが認められる。

しかしながら、他方、証人坪川は、被告の脳神経外科教授であり、これに関する専門家としての立場から、塞栓術にはいったん血栓を凝固させたとしても再開通する可能性が高く、塞栓術を繰り返す必要があるという欠点があり、グロムスタイプについては、脊髄に何らの損傷を与えることなく摘出術を行うことが困難であって、塞栓術以外に安全な治療法がないから塞栓術を行うべきであるが、ジュベニイルタイプについては、流入動脈が何本も入っているため塞栓術の有効性に疑問があり、シングルコイルドタイプの場合は、オールドフィールドの報告にあるようにナイダスは髄外に存在し、脊髄に手術的損傷を与えることなく容易に摘出が可能であるから、摘出術がなされるべきであって塞栓術の適応ではないと証言しており、さらに甲一(内科学書・全訂新版昭和五七年二月五日発行)には、脊髄動静脈奇形の治療法について「脳動静脈奇形と同じく、脊髄動静脈奇形も全摘出術が最も望ましい、脊髄実質内に深く埋没していたり脊髄球面にあって全摘出が不可能な場合、導入動脈の結紮ないしシリコンコーティングしたステンレスチール小球にて塞栓術を施行する」との記述があるのであって、少なくとも本件手術当時、原告賢治と同じシングルコイルドタイプの脊髄動静脈奇形の治療法として塞栓術を摘出術に優先すべきことが医学的知見として確立されていたことを認めるに足りる証拠はない。

そうであるとすれば、原告賢治の症例のようなシングルコイルドタイプの脊髄動静脈奇形について、塞栓術を経ずに最初から摘出術を行うことが本件手術当時の医学的知見に照らし、治療法として不合理であるとはいえず、しかも、原告賢治の場合、前記認定のとおり、選択的血管造影を試みたものの、脊髄の奇形部分への流入動脈を描出することはできず、かつ、再度の選択的血管造影を施行することについては、担当医師らの間に虚血による症状悪化の危険があるとの認識を抱かせる状況が存したというのであるから、この点をも併せ考えると、被告に選択的血管造影を行い、脊髄動静脈奇形の位置を把握したうえ塞栓術を行う義務があったということはできない。したがって、原告らのこの点についての主張は採用することができない。

4  争点4(説明義務違反)について

証人水谷の証言によれば、同医師が、原告賢治に対し、本件手術前の回診の際に、本件手術により症状が悪くなる可能性があるけれども、病気の進行を止めたりあるいはよくするためには手術しかない旨を説明したこと、手術を行わない場合には、両足の麻痺及び知覚障害はひどくなり、尿便失禁も起こるようになるという趣旨のことを説明したことが認められ、証人亀井の証言によれば、同医師が、原告賢治に対し、本件手術直前に病気が進行し、くも膜下出血みたいなものが起これば生命の危険が生じる可能性がある旨の説明をしたことが認められる。

また、証人神津の証言によれば、同医師は、原告賢治に対し、本件手術前に、脊髄の異常な血管を取り除く手術をする必要があり、手術をしなければそのままの状態が続くかもしれないが、血管奇形そのものの変化で出血をしたり、圧迫等により脊髄の状態が悪くなることもあり、非常に強い出血があれば脊髄の機能も全廃し、出血がくも膜下腔に充満すれば、生命の危険もある旨を説明し、手術そのものは坪川医師の技量からすれば難しい手術ではなく、手術をすれば八〇パーセントは治る旨の説明をしたことが認められる。

これに対し、原告賢治はその本人尋問において、神津医師から手術をすれば八〇パーセントは治る旨の説明を受けたものの、その他に被告病院の医師らからは、手術の危険性及び手術をしない場合の病気の進行等についての説明は何ら受けなかった旨供述するが、前記認定のとおり、原告賢治が、既に昭和五九年四月二三日時点において神津医師から脊髄動静脈奇形の疑い及び手術の適応について告知を受けており(この点は原告賢治も供述するところである。)、自らの病名について知識を有していたこと及び昭和五九年六月六日の被告病院神経内科における早期カンファレンスに原告賢治が出席していたことに照らすと、原告賢治が本件手術の危険性等について何ら説明を受けることなく本件手術に応じるというのは不自然であり、被告病院の医師らから手術の危険性及び手術をしない場合の病気の進行等についての説明は何ら受けなかった旨の右供述は信用することはできない。

ところで、神津医師が原告賢治に対し本件手術をすれば八〇パーセントは治る旨の説明をしたことについて、同医師は、証人として、右説明は一〇〇人手術をすれば八〇人ぐらいはよくなるであろうが、手術をしてもよくならない患者が二〇人位いるという趣旨で話したものである旨の証言をしているが、脊髄動静脈奇形摘出術について手術を受けた患者について八割の患者の症状が改善するとの事実を認めるに足る的確な証拠はなく、右表現が本件手術の説明として必ずしも適切であるとはいえない。しかし、右認定のとおり、神津医師とは別に、水谷医師は、原告賢治に対し、手術の危険性について症状が悪くなる可能性はあるが病気の進行を止めたりあるいはよくするためには手術しかない旨の説明を行っていることを併せ考えると、被告病院の医師らの本件手術の危険性ないし本件手術による改善の程度に関する右認定の説明が不適切であるとまでいうことはできない。

以上のとおり、原告賢治に対する医的侵襲である本件手術に際し、原告賢治は、被告病院の医師らにより、脊髄動静脈奇形という病名、本件手術の内容及び手術をしない場合の予後内容について具体的な説明を受けたものということができ、また本件手術の危険性ないし本件手術の改善の程度について被告病院の医師らによる説明が尽くされなかったとはいえず、被告に説明義務違反があるとはいえない。したがって、原告らのこの点についての主張は採用することができない。

三  以上のとおりであるから、被告には診療契約の債務不履行又は不法行為の責任原因となるべき過失はなく、原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がない。

(裁判長裁判官塚原朋一 裁判官西川知一郎 裁判官奥山豪)

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